今年、結成40周年のメモリアルイヤーとなるG.D.FLICKERS。昭和、平成、令和を駆け抜けたロックンロールの軌跡
ボーカルのJOEを中心に1985年に結成されたG.D.FLICKERS。現在も、HARA(ギター)、HAKUEI(ギター)、OKAMOTO(ベース)に、病気療養中のDEBU(ドラム)の代わりにサポートメンバーとしてKAZIを加えた5人で、ライブハウスを中心に活動している。今回は40周年のライブ活動から、高円寺にまつわるエピソードまでをメンバーに伺った。
取材・文/池守りぜね 撮影/間瀬修 取材協力/CHERRY-BOMB、サクラバースト
Contents
祝・G.D.FLICKERS結成40周年! バンド継続の秘訣

――バンド結成40周年を迎えられて、気持ちの変化などありましたか?
JOE:いや。ただバンドを辞める機会を失っちゃっただけなんだよね(笑)。
――結成40周年を記念したツアーの2MANシリーズでは、対バンはどのように決めていますか?
JOE: 2MANシリーズは、今までゆかりのあった人や、ROLLYのように珍しい組み合わせでやっている。ツーマンだと持ち時間が1時間くらいでたっぷりライブできるので、お客さん的にも面白いんじゃないのかな。
――ツーマンの場合は、セッションも楽しみですよね。この前はROLLYさんと頭脳警察の『コミック雑誌なんか要らない』を演奏されていました。
JOE:あれはROLLYからの提案だったね。
HARA:若手バンドの時はセッションをやらない時もあるからね。同年代だと、楽曲が選びやすい(笑)。
――ツアーでは、OKAMOTOさんやHARAさんにゆかりのある下関(山口県)でもライブされますね。
OKAMOTO:じつは下関から離れた場所の出身なので、あまり凱旋という感覚はないよね。どちらかというと博多の方が凱旋っぽいけどね。
JOE:この前は盛岡、倉敷、いわきにも行っていますね。
――それは周年も兼ねて、全国でライブをしている感じですか?
JOE:大昔に世話になった神戸チキンジョージや、京都磔磔でも久しぶりにやりました。それは単純にライブがやりたいって気持ちからですね。やっぱり40周年は一回しかないし、多分、50周年はないので。今やっておこうかなって。
――35周年のインタビューで、JOEさんが「40周年も続けている自信がない」とおっしゃっていましたが……。
JOE:ははは。
HARA:最後の悪あがきかも。
JOE:今はライブがあるのが当たり前の感覚なので、むしろ調子が良いですね。
――80年代から活動しているバンドは、活動休止や解散したバンドも多いじゃないですか。そんな中、ほぼメンバーチェンジもなく活動しているのは珍しいですよね。
JOE:それはいつも次のスケジュールが入っているから、気づいたら40周年。OKAMOTOさんも長いですよね。彼はベーシストが脱退すると手伝っていてくれたので、20年位は弾いてくれています。
――JOEさん、HARAさん、HAKUEIさんの3人は初期の頃からずっと一緒ですよね。
JOE:38年以上は一緒にやっていますね。気持ち悪いですよね(笑)。
HARA:プライベートでは会わないからね。お互いを干渉しないから40年やっていられる。基本的にはスタジオとライブでしか会わないから。
JOE:俺はOKAMOTOとは時々、一緒に飲んでいるけどね。
HAKUEI:お店(高円寺純情商店街のCHERRY-BOMBとサクラバースト)があるので普段も会ってはいるけれど、もう関係が何周も回っちゃっている。だから腹も立たない。
――ほぼ同じメンバーで結成40周年は、マネできないですよ。
JOE:うちらのようなバンドは少ないと思います。最初の頃はお互いにムカつくこともあったけれど、今は親戚みたいな感じですかね。
作詞・作曲・アレンジの担当分けと歌詞づくりの背景

――楽曲づくりは、ずっとHARAさんが作曲で、JOEさんが歌詞を書かれています。
HARA:本当はみんなに書いてもらってもいいんですよ(笑)。俺はメロディー作るだけで、あとはOKAMOTOさんとHAKUEIさんがアレンジをやってくれている。
JOE:俺はHARA君が作ってきた曲に自分なりの歌詞を乗せている。昔は音符通りに言葉を乗せていたけれど、今は言葉を優先して乗せているからメロディーや歌いまわしが変わっちゃったりする。でもそれはそれでいいかなって。
――アルバム『CHANGES』(1989年)の「CHANGES! 変化を起こさなきゃLOOSIN’ MYSELF」や、『東京無限』(2020年)の「チャンスはまだまだある 東京無限」など、JOEさんの歌詞は、時代に関係ない普遍性がありますよね。
JOE:日本語で最初にグっときたのがアナーキー(亜無亜危異)。あとはARB、ザ・ルースターズ。彼らが持つ日本語の歌詞に助けられたり、気持ちが救われた経験がベースにある。いわゆる仲良しこよしではなく、世の中に対してパンク・ロックのような反発心を持っている。俺は自分の生き方は自分で考えれば良いと思うので、そこはずっと歌詞に込めていきたい。
鮮烈だったデビュー当初のビジュアル・コンセプト

――G.D.というと印象的だったのがアルバム『GLAMOUROUS & DANGEROUS』(1987年)のジャケットですが、どうして国会議事堂の前で撮影されたのですか。
JOE:本当は迎賓館の前で撮影したかった。でも許可が下りなかった。
HARA:でも議事堂の前も許可が下りたわけじゃないけどね。
JOE:ゲリラ的に撮った。やっぱりダメって言われたら、ムカつくじゃないですか(笑)。じゃあ、それなら象徴的な場所で撮ってやろうかなって。あれは一瞬で写真を撮って逃げたんだけれど、追いかけられた。KAZIは年の差があるので、地元にいた時にこのジャケットを見たらしいけれど。
KAZI:衝撃的でしたよね。こんなことしていいのかなって(笑)。
HARA:いいわけないだろ!
――ビジュアル系の走りでもありますよね。
JOE:まだビジュアル系という言葉もない時代。まだ金髪や赤髪って珍しかったんですよ。俺がバンドを作る時に、ニューヨーク・ドールズやハノイ・ロックスみたいな海外のド派手なロックンロールバンドをやりたいって思った。もともとG.D.にいたメンバーが抜けてZIGGYになったのが、その頃はちょっと悔しかったのもあった。だから彼らよりも見た目だけでも派手に日本一になってやろうって意気込んだ。
あのジャケットのおかげでのちのビジュアル系と呼ばれる人たちからは「影響を受けた」とよく言われるので、足跡は残せたかなって。HIDE(元X JAPAN)は俺のことが好きだったらしくて、髪の毛の立て方とかも研究してたらしいよ。
JIROKICHI50周年特別企画への出演
――10月25日には、高円寺JIROKICHI50周年特別企画として、ゲンドウミサイルとのツーマンで出演されます。意気込みを聞かせてください。
JOE:ずっとJIROKICHIには出てみたかったけれど、ジャズやブルースで活躍した人が出演しているから敷居が高いって勝手に思い込んでいた。そうしたらJIROKICHIの店長をやっている金井さんが、CHERRY-BOMB(チェリーボム)に飲みに来てくれるようになった。そこから「うちでライブしてみないか」って声を掛けられた。嬉しかったけれど「一度ライブを観に来て判断してください」って言った。そうしたら「ぜひ」って言ってもらえた。実際にライブをやってみたら、意外としっくりきたんだよね。
高円寺でのロック・バー&ライブ・バー経営

――JOEさんがオーナーを務めているロック・バー『チェリーボム』を始めたきっかけは何でしたか?
JOE:昔、高円寺に『ジェスロー』というバーがあって、居心地がよくて良く飲みに行っていた。そこの亡くなったマスターが、粋な人でかっこよかった。だから俺もバンドで食えなくなった時に、バーをやろうって思った。その時にマスターが色々と相談に乗ってくれて、場所探しもしてくれた。
――チェリーボムは1999年オープンなので、今ではもう高円寺の老舗店ですよね。
JOE:俺はジャズとかは知らないから、ロックバーをやるしかなかった。店を出した当初はすごくアウェイ感があった。高円寺で飲み歩いていた人はあまり来てくれなかった。「あの店はぼったくりバーだ」って、周りの店からあることないこと言われたりしたからね。そこから、後輩とか仲間内のバンドマンや役者さんが来るようになった。
――よくニューロティカのあっちゃんが飲みに来ているのを、SNS上で見かけますが。
JOE:あの人はこの前も来ていたけれど、悪口も言っているんだよ。たとえば、大槻ケンヂが「JOE君の店に行きたいんだ」って聞いてきたら「あの店は辞めた方が良いよ」って言ってるのが井上篤なんだよ(笑)。
HARA:営業妨害だよね。
――JOEさんはライブもできる『SAKURA-BURST』(サクラバースト)も、高円寺にオープンされています。まさに実業家ですね。
JOE:儲かっていればそうですけれど、(力強く)まったく儲かっていないです! でも店を基本的に朝まで営業しているので、逆に高円寺で店をやっている方がうちに飲みに来てくれる。たとえば、阿波踊りの日は賑やかになってバーっと荒稼ぎした人たちが、店が休みの月曜や火曜に飲みに来てくれる。そういうのが嬉しいですけどね。
――高円寺の街の人たちとも、いろいろと交流があるのですね。
JOE:じつは高円寺で飲み屋をやっている連中で、バンドを作らせた。ボーカルは健太(『中洲屋台長浜ラーメン初代 健太 東京高円寺本店』の店長)で。『焼鳥 博多や』の店長がベースを弾いたり。俺がプロデュース的なことをしてやっていたら、彼らが楽しくなっちゃって、自分たちのイベントに出したりもした。裏方も悪くないなって思って、人が集まったり音楽をやれる場所を作りたい。そこから、『サクラバースト』を作りました。
ずっと好きなものは好き! ハーレーとラーメン屋めぐり
――JOEさんのインスタグラムを拝見していると、愛車のハーレーで色々なところに出かけられています。
JOE:ただラーメンを食いに行っているだけですよ(笑)。最近は行列ができるようになっちゃったけれど、『だしと麺 遊泳』(東高円寺)は とっても美味しかった。俺も年齢が年齢なので、昔みたいなバカ食いができなくなってきた。例えば、「あと何回、ワンマンライブができるだろうか」って考えたら、多分そんなに多くはできないじゃないですが。それと同じように、外食をする時に「あと何杯ラーメンが食べられるだろうか」って考えると「しょうもないラーメンは食いたくない」ってなってくる(笑)。だからもう、選んであちこちに行くしかない。
――ちなみに、あのバイクはいつ頃から乗っているのですか。
JOE:35年くらい前から、ずっとハーレーに乗っていますね。15歳からバイクが大好きだったので、それをただ続けているだけ。これもさっきのライブやラーメンと同じで、バイクも昔みたいに楽に扱いきれなくなってきている。「あと何年乗れるだろう」って考えると、乗れるうちは乗っていたい。ずっと好きなものは好きだからね。
――最後にみなさんのこれからの目標を教えてください。
ベテラン・バンドマンたちの今後の目標は……!?

OKAMOTO:私もHAKUEIさんを見習って、健康食に変えていきたいと思っています。
HARA:まあ、今年40周年ですけれども、せめて41周年を迎えられるように元気で頑張りたいです。あとぜひライブを観に来てください。
HAKUEI:田舎にいた時には「東京に行ってバンドがしたい」っていうのが夢だった。これから何年できるかわからないけれど、その夢は叶っている。健康第一で頑張っていきたいと思います。
KAZI:僕はサポートなのですが、DEBUさんが戻ってくるまで一生懸命やりたいと思っています。
JOE:2年前にDEBUが病気で倒れた。俺は昔から誰かが死んだら、G.D.は辞めようと思っていると言っている。でもDEBUは死ななかった。あいつも復帰の意志があるので続けるしかない。でもあいつが復帰する前に、俺や誰かが死ぬかもしれない。それはわからないじゃないですか。だからなるべく健康に気をつけて(笑)。
HARA:結局、それかよ!
JOE:少しでも長く活動をできるように思っています。あとはどれだけライブができるかわからないけれど、一個一個を大事にしたい。
G.D.FLICKERS 新宿LOFTライブレポート

取材・文/池守りぜね 撮影/間瀬修 取材協力/新宿LOFT
40周年を迎えて、なお精力的なライブ活動を行っているG.D.FLICKERS。今回は8月21日に新宿LOFTで行われた『2MANシリーズ #6 G.D.FLICkERS × ROLLY』のライブレポートをお届けする。
SEをバックに次々とメンバーがステージに登場すると、一曲目は彼らのメジャーデビューアルバム『REBELLIOUS HEROES』から「DAISY」。フロアは拳を突き上げ盛り上がった。ギターリフが冴えわたる「Driving Boogie」では、HARAがステージ上をリズムに乗って動き回る。ライブの定番ナンバーである「CHANGES」では、力強いJOEのボーカルがフロアに響き渡る。「時代を変えてゆくのは俺たち」という歌詞こそ、立ち止まることがないG.D.ならではの言葉だ。

トレードマークともいえる革ジャンを脱ぎ、鮮やかなシャツ一枚になったJOE。35周年を記念したアルバム『堕天使のように』から表題曲と、「水槽のサカナ」を披露すると、またしても1st『REBELLIOUS HEROES』から「古きドリアングレイに」。新旧織り交ぜたセットリストは、周年ならでは。

MCでは、サポートドラムのKAZIが一緒にご飯を食べてくれなかったという和やかなエピソードをはさみ、ライブは終盤へ。JOEの「そろそろ踊っていこうか」の掛け声を基に、「Party Allnight」。観客たちも思い思いに身体を動かしていた。そして今のG.D.のアンセムともいえる「東京無限」。新宿ロフトのボルテージも上がっていく。

「なかなかうまくいかないのが、ロックンロールが辞められないところ」というJOEのMC。40周年という年月の重さを感じさせる。ラストはROLLYも加わって「BAD IS FUN」。
そしてアンコールでは、再びROLLYとセッション。ROLLYがギターで「HAPPY BIRTHDAY」のフレーズを弾いて、周年に花を添えた。最後に二曲のセッションで、ツーマンの醍醐味を見せた。
5.21 新宿LOFT SET LIST

SE〜
1) DAISY
2) Hey Bad Friend
3) Driving Boogie
4) スパイ大作戦
5) CHANGES
6)堕天使のように
7) 水槽のサカナ
8) 古きドリアングレイに
9) 悪魔になるのも悪くはない
10) Party All Night
11) 夢のナイフで
12) 東京無限
13) Radio G.D.
14) BAD IS FUN (w/ ROLLY)
○ カリビアンベイビー (w/ ROLLY)
○ コミック雑誌なんかいらない (w/ ROLLY)
PROFILE
G.D.FLICKERS

1985 年結成。89 年ビクターよりメジャーデビュー。93 年に7枚目のアルバムをリリース後、キティレコードから2枚のアルバムをリリース、99 年以降ロフトレコード他から3枚、2021年に最新アルバム「堕天使のように」をリリース。
2025年結成40年を迎えた。
G.D.FLICKERS 公式サイト
INFORMATION
G.D.FLICKERS結成40周年記念 2MANシリーズ♯6.5
●公演日:2025年10月16日(木)
●会場:新宿LOFT
●出演:G.D.FLICKERS※サポートドラマー KAZI / Rama Amoeba
●OPEN:19:00 START:19:30
●ADV¥4,000- DAY¥4,500-(別途ドリンク代¥600-)
JIROKICHI50周年特別企画10/18 〜 10/25 連続ライブDay Final 【”Blues” Behind Rock and Roll】 G.D.FLICKERS結成40周年記念2MANシリーズ#7
●公演日:2025年10月25日(土)
●会場:高円寺JIROKICHI
●出演:G.D.FLICKERS※サポートドラマー KAZI/ゲンドウミサイル
●OPEN18:30/START19:30
●前売り¥4000当日¥4500
2025.10.26(日)新宿LOFT│2025.10.26(日)新宿LOFT│「SHINJUKU LOFT 50TH ANNIVERSARY PRE-EVENT SINCE 1976」 G.D.FLICKERS結成40周年記念2MANシリーズSpecial
●公演日:2025年10月26日 (日)
●会場:新宿LOFT
●OPEN 18:00 / START 18:30
●前売り 4,000円 (1D別) / 当日 4,500円 (1D別)
















