高円寺と言ったら、中村達也だよね
思わず目を見張るポスターが壁に貼られているバーでマスターと談笑しているのは、MO’SOME TONEBENDERの百々和宏。酒にまつわるエッセイ『泥酔ジャーナル』のほか、ライブハウスや居酒屋を間借りして『ファジーピーチ酒場』というイベントを開催するほど無類の酒好きとして知られている。今回は、酒とロックについて語ってもらった。
取材・文/池守りぜね 撮影/水庭慎介 撮影協力/BAR GREGOR

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高円寺の思い出
――高円寺ではよく飲まれるのですか?
百々:友だちのライブを観に来たついでに飲むっていうのが多いですね。最近だと、高円寺HIGHに出演した時に飲みに行ったりとか。中央線沿線の雰囲気が好きですね。
――高円寺は中央線沿線のなかでも違いますか?
百々:やっぱりロックやパンクの街っていうイメージですね。つい飲みすぎてしまって、この店のマスターにも俺が道端でつぶれていたって言われたこともあるけれど、全然覚えていない。「人違いでしょ」って言っている(笑)。
――高円寺は、ライブハウスの思い出も多いですか?
百々:高円寺20000V(2010年に移転し、現在は『東高円寺二万電圧』)の印象が強いね。まだ福岡から東京にライブをやりに来ているアマチュア時代から20000Vに出ていたけれど、あの店の雰囲気は大好きでした。
バンドマンの打ち上げ事情

――バンドマンの謎なのですが、打ち上げのお店はどうやって決めているのですか?
百々:だいたいライブやる前に店を探しています。高円寺だと行く店は決まっていますね。ある程度の人数が入れて、安い店かな。僕らが若かった頃は、安い店にしか飲みに行っていなかったのでその名残かも。僕はもう飲みに行くのが半分趣味みたいな感じで、ツアーを周っています。
――やっぱり打ち上げでバンドマン同士の交流が生まれたりもしましたか?
百々:そうですね。僕はお酒のつきあいが良い方なので、あっちゃん(ニューロティカ)やMAGUMIさん(LÄ-PPISCH)とか先輩方にも結構可愛がっていただきましたね。フェスとかでも、お酒の力は大きいですね。
――ミュージシャンのSNSなどで、バンドマン同士で飲んでいる画像を見るのも楽しみです。
百々:今では初めましてのミュージシャンとも普通に喋りますけれど、若い頃は対バンをしてもそんなにすぐには仲良くならなかった。ライブを観てかっこよかったら「いいなあ」って思うくらいで。話せるようになるのは、打ち上げの場。僕にとってはコミュニケーションとして、お酒が大事って言うのはありましたね。
――バンドマンは、還暦を迎えても元気な方も多いですよね。
百々:あっちゃんは元気ですよね。先輩方はみんなタフなので安泰です。僕たちはまだまだひよっこですよ(笑)。でも若い人たちの間では、打ち上げもやらないバンドもいるって聞きます。
――そういう意味では、打ち上げという文化は残って欲しいですよね。やっぱりバンドマンはお酒が強いイメージですがどうでしょうか。
百々:僕らみたいな九州人って、酒が長いんですよ。先に帰ったやつが負け、みたいな(笑)。みんなで飲み始めたら最後までいるって雰囲気だった。だから、終電で帰っちゃう人を見ると「そんなにサクっと帰るんだ」って思ったりね。
――最近は、お酒に誘うこと自体がアルハラ(アルコールハラスメント)と言われたりもしますからね。スマートに飲むのが難しいですよね。
百々:元から年下の子を強引に連れて行くとかも嫌いなので、僕の周りではそういう空気はない。酔ってなにかしでかすにしても、楽しいお酒じゃなきゃダメだなっていう気持ちがすごくありますね。だから、自分の武勇伝をだらだら喋るのとか嫌ですね。オチのない話を永遠にするとか、人の悪口を言うとか。そういうのはやらないようにしています。
飲み方の変化

――飲んで失敗したエピソードとかありますか?
百々:最近はそこまで酔いつぶれることは少ないですね。言える話はさっきの道でつぶれていたくらいまでかな(笑)。飲んだ次の日に記憶ロスの割合が高くなっています。
――昔と比べて飲み方は変わりましたか?
百々:昔ほどバカみたいに飲むことはなくなりましたね。若い頃は元気があったから、終電逃したら「朝まで飲もう」ってなって、高円寺とか阿佐ヶ谷で飲んだりしました。今はタクシーに乗っちゃいます。
居心地の良い店のヒント

――百々さんが店主を務めている不定期の『ファジーピーチ酒場』では、ずっと調理などされていましたね。
百々:めちゃくちゃ働いていますよ! 客寄せパンダ的な立ち位置だと思われるけど。元々、プロのミュージシャンになれなかったら、飲み屋をやりたいって考えていた。だから福岡の居酒屋でも結構長く働いていて、調理師免許も取ったんです。それが今に生きていますね。
――イベントに遊びに来ていたミュージシャンも沢山飲んでいましたよね。
百々:忙しいながらも、酒場をやるのはやっぱり楽しいからです。みんなにとって遊べる場を提供するのが好きなんでしょうね。実家が角打ち屋だった。だから家の中につねに酔っ払いがいるっていうのが普通だったので(笑)。おっさん同士の喧嘩を見て育ったから、そういうのがなんだか落ち着きますね。
――百々さんにとって居心地の良い店って、どういう店ですか?
百々:僕はちょっと特殊かもしれない。キレイで新しい店にはあまりピン! とこない。古ぼけてて小っちゃな店がいいですね。外から店内を覗いて、キャップを被ったおっさんがカウンターに座っていたら、そこは良い店かもしれない。
――それはちょっと一見にはハードルが高いですね。
百々:キャップ被っているおっさんが飲んでいたらだいたい安い店だからね。でもそういう店って、代替わりできるとよいですけれどね。誰も継ぐ人がいなくて無くなっちゃう店も多い。
僕にとってはライブをやるのが当たり前

―― お酒好きな百々さんにとって、打ち上げやライブ活動が思うようにできなかったコロナ禍はどのように過ごされましたか?
百々:バンド活動は止まってしまったけれど、ソロで弾き語りをやっていました。モーサムとソロのライブって言うならば真逆。ソロはとにかく緩く、ダラダラ喋ったり飲みながらやるスタンス。モーサムのライブでは、ほとんどMCはしない。
――今も、百々和宏と69ersのツアーでは全国各地を回られていますよね。
百々:なんだろう。僕にとってはライブをやるのが当たり前なんです。ライブを大事にしているとも違って、バンドをやっているならライブをやるのが当たり前でしょうっていう感覚。単純にライブハウスでギャーギャー演奏するのが好きなんです。
楽曲制作のようなスタジオワークの方が得意なクリエーター気質の人とか、いろいろなタイプのミュージシャンがいると思う。僕は現場が好きで、ツアーをどんどん回りたい。楽曲を作る才能はないけど、ライブをやりたくて曲を作っている。
――楽曲制作は苦手ですか?
百々:苦しいですね。ファンの人ってアルバムが何年か出ていないと活動していないように思われる。モーサムは年に数本しかライブをやらなくなったので、お客さんからも「やらないのですか? 」ってよく言われます。でもモーサムって、一番気力が要るバンドなのですよ。
――今年は、モーサムのツアーがありますね! ファンにとっても楽しみな1年になりますね。今日はありがとうございました。
PROFILE
百々 和宏(もも かずひろ)

’97年福岡で結成した真正ロックバンドMO’SOME TONEBENDERのG/Vo。普段は安酒場をローリングする泥酔イスト。酒場紀行文を集めた「泥酔ジャーナル」の著者としてもカルトな人気を誇る。
2012年からソロ活動を開始。2枚のソロアルバムをリリースし、同時にyukihiro(Dr / L’Arc-en-Ciel)、345(Vo, B / 凛として時雨)との新たなバンドgeek sleep sheepを結成。
2023年にはソロ名義バンドユニットとして有江嘉典、クハラカズユキと共に「百々和宏と69ers (モモカズヒロとシックスナイナーズ)」を結成するなど、幅広く活動中。
INFO
3曲入りEP『Rock’N’ Roll Heart, Over & Over Again』(百々和宏と69ers)発売中。MO’SOME TONEBENDER『NO EVIL 2025』ツアー開催。
百々和宏ソロ『Road to anywhere』ツアー開催。
最新情報はオフィシャルサイト https://momokazuhiro.com/